その時、私はようやく今までの呪いのように疎ましく思っていた自分の性質が、実はギフトであり祝福であったことに気がつくことが出来たのです。

今から振り返ってみると、日本NLP学院で学ぶ前の私は、あまりにも無知であったと思います。自分のことについても、他人とのかかわりについても、世界のありかたについても、何一つ本当の意味では理解していませんでした。

大学で心理学を、研究所で精神医学を、家庭教師でのアルバイトではパラフレーズ(要約)の方法やラポール形成方法、カリブレーション(観察)のやり方を学びましたし、社会に出てからも根回しの仕方やら年長者をたてつつ自分の要求を通す交渉術を身につけ、更にNLPやヒプノセラピーを長い時間やお金をかけて勉強してはきました。しかし、それらは単なる知識であり、単なる小手先のテクニックでしかありません。

体系的に理解し、自分の中でさまざまな情報や経験と統合されていないのならば、いかなる知識やテクニックであろうと、「細切れにされた肉片」でしかありません。そんな標本をいくら集めたとしても、決して生きて動いて血が通って活動する「生命体」にはならないように、本当の意味ではなんの役にもたたないのです。

また、私は単に無知なだけではなく、あらゆることについて誤解や間違った信念を持っていました。家族や周囲の方々から思いやりや励まし、賞賛の声を受けたとしても、それを素直に受け入れることがどうしても出来ませんでした。たとえ他人から「才能がある」と絶賛されたとしても、「どうせお世辞だ」とはすに構えて聞き流すか、あるいは「才能といっても天才に比べたらたかが知れている」と疎ましく思うかのどちらかでした。何かトラブルがあると、必要以上に自分の責任と感じ、あるいは他人のせいにし、緊張し、パニックを起こし、視野が狭くなり、時にはストレスで体調をくずす・・・そういったネガティヴなループ(循環)の中にいたように思います。

一番大きなターニングポイントは、「NLPの諸前提」を本当の意味で理解した瞬間だったのでしょう。

最初の一歩を踏み出せたのは、リフレーミングのワークの中でした。松島先生はこう言ってくださいました。「あなたのパラフレーズ力やミルトンモデル的な話し方は、他の人が何年もかかってやっと習得するような特別な力で、それを自然に出来るということは、希有な才能なのだから誇りに思うべきです。」

その時、私はようやく今までの呪いのように疎ましく思っていた自分の性質が、実はギフトであり祝福であったことに気がつくことが出来たのです。そして、その瞬間、今まで単なる「言葉(ことのは=単なる断片的な単語の羅列)」でしかなかったNLPの諸原理が、「言霊(ことだま)」として私の言語世界に宿ることが出来たのです。


「ヒトは誰しも自分自身のユニークな世界についてのモデルに住んでいる」

「地図は土地そのものではない」

「人は、常に自分に可能な最善の選択を行う」

「人々は、望む変革を達成するために必要な手段すべてを既に持ち合わせている」・・・。

更に、NLPの諸原理に納得すると同時に、私は気がつきました。

NLPで活用するのは、体に張り巡らした神経ネットワーク(思考中枢、感覚神経、運動神経、交感神経、福交感神経)、言語中枢、姿勢を保つためのちょっとの筋肉組織、そして生まれてから現在に至るまでの経験を記録した記憶中枢。つまり、文字通り自分自身のすべてです。

呪わしく思っていた自分の性質も、消したいと思っていた苦々しい記憶も、失敗した経験も、体調の悪さも、なにもかもが、実は全て「リソース」であり、かけがえのない大事なものだということをようやく私は理解できたのです。それはまさに革命ともいうべき、エポックメイキングな「理解」でした。

断片的な情報に命が吹き込まれ、一貫した理論の基に組織だつて構築することが出来たのならば、次に行べきは活用です。

最近、日常生活において特に気を配って実践しているのは「ディソシエーション」です。当事者意識を持ちながらも、相手の視点と第三者の視点を同時に持つことで、不必要な感情に振り回されたり、不適切な神経系に惑わされたりせずにいられるようになります。

ニューコードNLPの授業の一部を担当してくださるアラアスタ先生も色々な活用法を教えてくださいました。特に忘れられないのはこの言葉です。

「ネガティブなことは決してBADを意味しない。ネガティヴもポジティヴも、吸う息と共に受け入れて租借し、また呼吸と共にそっと吐き出して悠久のガンジス川にそっと流すものだ。」


これを書いている今現在、まだまだその言葉を実践しているとは言い難いですが、少なくとも以前よりも自分の過去や現在について客観的に、かつニュートラルに、かつ「愛」をもって受け入れることが出来るようになったと思います。

さて、これからの私の未来について告白します。私がNLPを本当の意味で学ぶ前は、正直申し上げて自分の一年後すら想像することが出来ませんでした。三か月更新の派遣社員という形態での勤務という社会的・金銭的な理由だけでなく、心理的に将来の自分というものがイメージできなかったのです。

今も、どっかのスクールでやっているような「数年後には何百万ためて、さらに数年後には何千万を手にして云々」という、金銭的に数値化した未来ペーシングは出来ませんし、したくもありませんが、少なくとも構築的なVAK(視覚、聴覚、触覚)としてイメージできるようになってきました。

タイムラインをたどって20年後の未来にいる私は、古き良き時代のDNAを受け継ぐ和風のインテリアに囲まれた部屋の中央に座って、大好きな猫をなでながら幸せそうに笑っていました。立ち上がって窓をあけると外の風がさわやかに吹き込んできて、更に玄関から出ると、そこに暮らす人々の息吹と笑顔がありました。大好きな自分と、大切な人々とのつながり。そして、自分を誇りに思えるさまざまな記憶。人にとって、それが「幸せ」というものではないでしょうか。

笑顔でいられる20年後の自分へ、そして更にその先へ向かって歩いていけることを「許していける」自分を、今は何より誇りたいと思います。
安宮理恵さん 30代 女性 派遣社員